原作ストーリー
Original Story

第1話 「日本一ちいさな本屋」原作ストーリー

 父は震災の2日前の3月9日に大船渡病院から県立高田病院に胸水の検査のために転院をしました。そして、2011年3月11日に、高田病院の4階病室で、父、母、妹の3人は、震災大津波に遭いました。3月9日に震度5弱の余震があり、この時、丁度検査中で、検査は失敗となりました。結果、父は入院することになったのです。吉浜の自宅にいれば、または、大船渡病院に入れば、津波に会うことはありませんでした。何か意味があって、津波に遭う運命だったのかなと思っています。

 震災の翌日、父は高田病院の屋上から岩手医科大学付属花巻温泉病院に搬送されました。しかし、病状は悪化し4月24日、肺炎のため他界しました。父の死は、東日本大震災の関連死となりました。この間、父と母と妹を自衛隊・警察官・消防署員等のみなさんが、必死になって救ってくれたこと。また、花巻温泉病院のドクターを始め、スタッフのみなさんが、献身的に父の看病に当たってくれたことに心から感謝いたしました。有難い、本当に有難い、そんな気持ちでいっぱいでした。

 6月、吉浜海岸から昭和の津波石が発見されました。この時期は、死者や行方不明者がどんどん増えていき、日本全土は、イベントの中止や自粛、計画停電等。先の見えない重苦しい雰囲気に包まれていました。そんな中で、昭和の津波石が、五十数年ぶりに出現したのでした。昭和35〜36年頃に開発のために一度は埋められた津波石が、平成の大津波で表土が削り取られ出現したのです。津波石の説明までもが刻まれた立派な昭和の津波記念石です。私は、この事実を知った時に、家族を救ってくれた感謝の気持ちと、津波石のメッセージを伝えたいという気持ちから、絵本を作成する事にしました。私は、暗闇の中に一筋の希望の光を見出したような気がしました。私は、絵本を制作し、読み聞かせをしていくことを決心しました。私は、使命感に燃え、手作り絵本「つなみ石」「きせきの列車」「高台のハマユリ」「空と風の兄妹」「海大すき」「ふるさと」と一月に1冊のペースで一気に作っていきました。

 そして、翌年2012年の1月から、矢巾町内の子供会や小学校等で読み聞かせを始めました。私は、対象となる子どもに合わせて、読む本を選び、東日本大震災から得られる教訓や価値が伝わるように読み聞かせを行いました。子供達の記憶力や豊かな感性には、本当に驚かされました。

 そして、2012年の一年が終わりに近づいた頃、私は、東日本大震災の風化が一気に進んでいることを感じていました。ボランティアの数も少なくなり、テレビ番組もすっかり元に戻っていました。しかし、被災地では、まだ瓦礫があちらこちらに山積みになっていて、復興なんてまだ始まっていませんでした。  

 私は、どんどん進行している震災の風化をなんとかしたいと考えていました。私が強く訴えることができるのは、家族の震災体験しかないんだと思いました。多くの方々に高田病院での「ある家族の物語」をありのまま知ってもらいたいと思ったのです。それから、母や妹からの聞き取りをもとに「ふろしきづつみ」を書き上げていきました。聞き取りの時も絵を描く時も、その時の状況が何度も思い出され、正直苦しいものがありました。結局は出版社の当てもなく、自費出版に踏み切ることにしました。絵本「ふろしきづつみ」は、2年目の3.11に合わせて地元の出版社から自費出版という形で書籍化することになりました。

 私が描いている本は、すべて郷土吉浜がテーマになっています。奇跡の集落 吉浜の地から、「つなみ石」を「ふろしくづつみ」を「浜の命」を、そして震災復興を発信していきたいと考えたからです。そこで、母と相談し、実家に自称「日本一小っちゃな本屋さん」を開店することにしました。母には、店主になってもらいました。本が2冊だけの、本当に小さな本屋さんですが、震災を生き抜いた母にとっては、大きな一歩となりました。日本一小っちゃな本屋さんは、一時期たいへん話題になり、多くの方が訪れ、図書を購入していただきました。また、ツアーが来た時には、高田病院での出来事について、語り部も行いました。本屋さんを開店してから4年になりますが、未だに大阪や九州などの遠方より、お客様がいらっしゃいます。

 吉浜の実家は、高台に位置し、海が見える眺めの良い場所にあります。家のすぐ前は、古道 気仙浜街道が通っていて、藩政時代の面影を残しています。ここ日本一小っちゃな本屋さんに、近所のおばあちゃんたちが、小道を歩いて集まってきます。母(小松フスミ83歳)はもともと働き者で社交家で近所のおばあちゃん達がお茶飲みに集まっていました。震災後もその光景は変わらず、むしろ、小っちゃな本屋さんがマスコミに取り上げられることで、ご近所の関心も高まり、人の出いりは以前よりも増えたように思います。

 母は、高田病院4階の病室で首まで波につかりながら、妹と一緒に父を守り、気丈に震災を乗り越えてきました。そして、父を守ったことが生きる自信につながっています。息子(私)に背中を押されながら、「ふろしきづつみ」を自費出版し、「日本一小っちゃな本屋さん」を開店し、復興の一役を担っています。尚、訪れたお客さんには、気仙浜街道の案内もしています。母はお料理上手で人をもてなすことが好きです。趣味は、日本舞踊、野菜作りと庭花作りです。歳をとり老いても、人の役に立てることは結構あるものです。そんな母の姿は、きっと多くの方々に感銘をあたえるものと思います。

原作ストーリー制作:小松則也さん
(大船渡市三陸町 58歳)

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