境内から蝉の鳴き声が聞こえる。
「ジリジリジリジリ・・・・」「ミーンミンミンミンミン・・・」アブラゼミとミンミンゼミの大合唱。夕方、「カナカナカナ・・・」と哀愁に満ちた寂しげな声を聴かせてくれるヒグラシの鳴き声が僕は好きだ。外の暑さと違いお寺の本堂は冷やりとする。それでも額に汗して僕は皆と共に手を合わせている。
今日は東日本大震災から5年目のお盆法要。「チーン」住職のお経の声が蝉の鳴き声に負けじと本堂に響き渡る。
数珠を持ち目を閉じていると、昔の事が思い出される。先代の住職のお説法「手を合わせると、その右手は亡くなられた大切な方。その左手は私達なんだよ。その両方の手を合わせたとき、二人はピッタリと合わさって、今でも一緒にいることができるんだよ。」
僕は思う。僕たちは、たくさんのご先祖様から命のバトンをつないで今があるのだと・・・そのバトンが切れる大きな大きな災害があった。
あれは(東日本大震災)は2011年3月11日午後2時46分。
5年前のこと。
震災2日前の3月9日に前震があった。三陸沖を震源とする地震があり宮城県北で震度5弱を記録。津波は岩手県大船渡港で60センチに達していた。
その時、僕は妻とふたりでお客様の髪を刈りそろえていた。
「どうせまた(津波の心配はありません)って放送になるから、大丈夫だよ。ハハハハハ。」僕は笑った。普通に笑った。
新聞記者のお客さんは、あわてて「また来ます。」と言い会社に戻った。近所の人達が避難している。
僕は「津波なんて来るわけないよ。湾口防波堤もあるんだからさ」今でも思い出すたび、自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。
それから2日後、悪魔はやって来た・・・。
いつものように妻とふたりでお客様の髪を刈っていた。「ドドドド・・・」
地鳴りが響きはじめた、地震だ!揺れがどんどん大きくなる、ガラス瓶の化粧品が次々床に落ち砕け散る。このままでは店舗が壊れると、お客様二人と一緒にお店の前の空き地に駈け込みしゃがんだ。
怖い!「なんだこれ!」お店の前の側溝とマンホールから水が溢れ出してきた。
「津波が来る。」僕は確信した。長い揺れが収まり、お客様はあわてて自宅に帰る。お店の中は停電し、鏡の前の鋏や櫛が床に散乱していた。
僕たちは恐怖で身の危険を感じ、何も持たず前だけを見て高台にある家に向かった。
高台から見る大船渡の街は荒れた海に化していた。車や家がまるで木の葉のようにぷかぷか浮いていた。信じられなかった・・・。
蝋燭の前で一睡もできないまま翌朝を迎えた。
「佐々木さん、大丈夫ですか・・・」玄関から声がする。
「立花くん・・・」「良かった~無事で良かった。」お互い手を握りしめ、彼の眼からは涙がながれていた。
僕は「奥さんと子供たちは・・・」と聞いた。「高田にいます。」「なんで俺だけ助かったのか・・・」彼は高田は全滅だと人ずてに聞いていたようで大声で泣いてしまいました。
彼は職場が大船渡なのでそのまま高台に避難し一晩過ごしたのです。
僕はなんて言ったらいいのか・・・「きっと大丈夫だよ・・・」
これから歩いて高田に行き家族を探すと言う彼の後ろ姿を祈りながら見送るしかなかった。
立花くんとはお互いにプロレス好きということでたちまち気が合った。一緒に酒も飲み、プレミアム付きのプロレスラーフィギュアまで貰った。
僕は彼のまだ幼い赤ちゃんふたりに洋服をプレゼントしたこともあった。あの日はもう帰ってこない。
津波から3カ月がたちまち過ぎた。
僕が避難所で散髪のボランティア活動をしていた時偶然、立花くんに出逢った。彼の顔色は青く無表情のまま話しかけてきた。
「佐々木さん、俺だけ助かってしまいました・・・妻も子供ふたりも津波で亡くなりました・・・・・・。佐々木さん、大船渡では7月中旬から蛍が飛びますよね・・・妻と子供と一緒に4人で蛍になって仲良く飛び回りたいですよ・・・」
僕はその時思い出していた。酒場で立花君が言ってたこと「蒸し暑い夏の夜、4人で蛍を見に行ってね、蛍が飛び交う小さなダンス、すてきだったな~。それを見ている妻がとてもきれいで子供たちがとても可愛くて・・・」笑顔で惚気ていた彼。
我に戻り、涙も枯れ果てた彼を僕は励ますことなどできなかった。
それから何日経ったのだろうか、立花くんが・・・立花くんが高田の海に入り自ら命を絶ったと聞いた・・・。
あの時、彼は何を伝えたかったのか、心はどんなに揺れていただろうか・・・。
僕は悲しかった、ただ悲しかった。
他にも家族を失った方々がたくさんいることは承知しています。
その人の身にならなければ、その人の気持ちなんてわかるはずもありえません。ただ、神様はひどいことをすると、神様を恨むしかありませんでした。
私には、悲惨な目に合った方々に心を寄せることしかできません。
東日本大震災の年、立花くんが亡くなった夏のはじめ、大船渡では蛍が異常発生しました。
亡くなった方々の霊ではないかと噂にもなりました。
当時、僕は妻と一緒に、その場所に暗くなると出かけました。
目をみはりました。小さな小川にホタルが群れているのです。
しばらくぼんやり眺めていると、大きく輝く蛍が2匹、小さく灯る蛍が2匹、四つの蛍が仲良さそうに輪になって宙に浮いているのが見えました。
楽しそうにダンスをしています。「山本くん・・・良かったね」僕は呟きました。
あれは間違いなく立花くんの家族です。僕にはそう見えました。
「ミーンミンミンミンミン」「カーン」住職の叩く鐘の音が響く。
「ふつうが幸せなんだ・・・」僕は心に深く刻み込みました。
僕はさらに両手を強く合わせながら思いました。
「忘れないよ。みんなの命のバトンはきっと舫いでいくからね。」